鯉の年齢

我が家で一番長生きしている鯉は、もう35歳になるだろうか。
山古志の酒井省吾氏から送ってもらった親鯉から一番最初に産卵孵化した鯉である。
この一匹だけが、がっての記憶をよみがえらせてくれる。

一般に、鯉の寿命は20~30年位などと言われるようで、その基準からすると、我が家の鯉は長生きしていると言える。水槽内の代々の鯉のいく末を見てきているのだ。

数年前までは、ネットを検索しても、長生きした鯉の情報は検索できなかったが、最近は検索されるサイトが多くなった。

その情報によると、花子と命名された226歳になる鯉が長寿とされている。この花子も、飼い主が川で発見し捕獲され池で飼われるようになったと、どこかのサイトで読んだ記憶がある。

200歳と言えば、産まれは、江戸の世界。

花子の色合いからすると、大事に武士の屋敷で飼育されていたとは思えないのだが、当時の鯉の色合いは、この色合いを作出するのが精いっぱいだったのかもしれない。

ということは、200年も前に、色鯉が産まれていたことになる。
好まれない色だから、川に放たれたのか、放たれていた鯉から生まれたのか定かではないのだが…。

そうすると、川から捕獲されたことの説明は、納得がいくようにも思えるのだが、そもそも静かな山藍の池であれば、外敵がいなく長らえることが出来たのかもしれない。
(単なる憶測だ。新しい情報があれば教えてください)

各地では百歳以上の鯉も数匹いたようだ。

家庭でも、どうしても水替えが必要になる。同じ水をろ過循環させていたり、水替えをしないと病気が発生する。家庭の水槽では鯉もストレスがたまることだろう。

鯉の最良の住処は、山間の静かなプランクトンの多い緑水の野池かもしれない。広いところでのんびりと、これが長生きの秘訣かもしれないのだ。

だが、水槽でも水替えなどを丁寧にしてやれば、あなたの年齢以上に家族を癒してくれそうである。

野池であれば身近に鯉の姿を見ることはなかなかだろうけど、水槽であれば身近に楽しむことが出来る。
餌をやれば手に触れることもできる。これこそが鯉を楽しむ醍醐味とも言えるのだが・・・。

詳しい説明はこちらでどうぞ!
http://jnpa.info/zen/hanako.htm

以前、検索した時には、なぜか外国のサイトに、花子の年齢やその様子が紹介されていたが、最近は、数サイトが検索エンジンに認識されているようだ。
花子の画像も各サイトに掲載されている。出どころは不明だけどね。

この花子の画像は、上記のリンク先サイトからお借りしました。
花子
撮影:1971.08.14(219歳の時)だそうです!

ただし、200歳ともなれば、その花子の出生を知るものはいないでしょう。
一般的に鯉の年齢は、鱗を分析すれば分かると言われています。
これが花子の鱗と紹介されている。上記サイトからお借りしました。
画像の説明

詳しくはこちらのサイトでどうぞ!
http://jnpa.info/zen/hanako.htm

もう一人の花子

このページで、紹介することをお許しください。
ページを改めて作成すればと感じたのですが、このページで紹介します。

皆様もご承知のとおり、安東はな。
小さい時から、花子と呼ばれたかったとか?(NHK、花子とアン)
とうとう蓮子さんいより、安東花子著本が出版されました。

その後、学生時代に知り合った村岡氏と紆余曲折を得て結婚。

花子の名を有名にしたのも、「赤毛のアン」でした。

その訳著者は、村岡花子とあります。

【お断り:これからの文は、アンの生まれと村岡花子の思いを紹介のため、「赤毛のアンあとがき 1954年初夏 村岡花子」から引用簡略掲載しています。】

「緑の切妻屋根(グリン・ゲイブルス)のアン」は、当初出版を断られ、プリンス・エドワード島の北海岸の半農半漁業の一部落キャウェンディッシのささやかな木造の家の屋根裏に3年間もしまいこまれていた。
あるとき、ル―シイ・モウド・モンゴメリと言う若い婦人がパーティへ招かれ、その衣装につけるリボンを探しに屋根裏へあがってトランクを開けたとたんに、すっかり忘れていた「グリン・ゲイブルスのアン」の原稿が目にはいった。

最初3、4ページを読んでいるうちに、ランプを灯して読みふけったそうです。
自分の空想から生まれでた「にんじんあたま」の少女アンの運命にル―シイは泣かされたり笑わせられたり、「アン」は、もう一度の機会を与えられてもと、ボストンの出版会社へ小包にして送りつけたのである。

そして、500ドル買いきりにしてくれ、こおどりしてよろこんだそうだが、その後百万部以上も売れ、映画化されるに至り、膨大な印税や権利金を取れたのにと悔しがったそうな。

しかしこの作品により、その名声はにわかにあがり、あの不滅の生命を持つ「ふしぎの国のアリス」以来の愉快きわまる、そして最も強い人の心に迫ってくる存在だと評された。

ルシイは、幼いうちに母を失い、父が母方の祖父母に託し、祖父の他界後、祖母を助け、祖母の他界まで結婚をしなかった。

その後結婚、夫より1年早くに68歳で世を去った。
「緑の切妻屋根(グリン・ゲイブルス)」の家を見おろす丘の上に墓所がつくられ、キャウェンディッシ国立公園の入口には彼女をたたえる記念碑が建っている。

この記念碑の除幕式の日に、新任地に赴任してきた公園長は、彼女の名声を知らずに、参列者は多くないだろうとベンチもわずかに並べればと部下に指示するが、式の数時間前から、町は自動車で埋まり、湾にはボートがむらがり、馬車を走らせる人、人、人の波だった。

あわてて、ありたけのベンチを取り出し並べ、準備不行き届きの攻撃を逃れたそうな。
「すばらしい婦人だったと見えますな」と公園長は言った。

モンゴメリ女史は、真の偉大さを形成する要素ー単純さと叡智と勇気とユーモアと親切を備えていた。彼女みずからが「グリン・ゲイブルスのアン」その人であったのだ。

アンを読む人は、ル―シイ・モンゴメリが花ひらく乙女時代にたいして、いかに深い理解と同情を持っているかに驚くであろう。

真昼の夢に包まれているような「赤毛のアン」の中には、いつの日にも失われない、永遠の夢、若い女性の清純さとその清らかさから生まれる憧れが呼吸している。
        (赤毛のアンあとがき 1954年初夏 村岡花子」から引用簡略掲載)

  • 前述文の引用は、この本からではありません。(汗)

花子は、長生きするんですね。
人の心にいつまでも失われない清らかさを育む。

YUUKIKOIも、幼いころに尊い小さな生命に触れ、小さな水槽のなかの現象をとおして、家族の間にお互いをいたわる温かな心がより強く呼吸するきっかけとなり、明日の明るさを見出す何かに気づくことがあるなら素敵な事だと感じています。